2014年11月15日土曜日

彼のようになりたいなら、彼の真似をすればいいに!

世界的にトップレベルの資産とプライベートジェット機を持っている投資家のバフェット氏に、ある人が訪ねた。

「あなたのようになるにはどうすればいいのですか」

バフェット氏
「毎日、500ページ読みなさい。~~。」
バフェット氏の一日の仕事の80%は、雑誌や新聞や書物の読書に費やすのです。

多くの人がこう思うだろう。
これなら自分にも出来そうな気がする。たくさん雑誌や書物を読んで考えることなら。』
しかし、多くの人が出来そうと思ってもしない。
もっと簡単な方法を探しているのだろうか?
別な方法を探しているのだろうか?
真似ることが嫌なのだろうか?



読書量は、大変な量だし地味な活動で飽きやすい。
そこに、バフェット氏は活動の原点があると言っている。
『俺のようになりたいなら、俺の真似をしろ』

答えは、出されている。簡単なことだ。

彼のようになりたいなら、彼の真似をすればいいに

2014年11月8日土曜日

この涙、知っていますか

この、知っていますか。

ヴァイオリンには、特に練習用のヴァイオリンにはシミが着いていると言われています。
そして、このシミは、なかなか落ちる事はないのです。
ヴァイオリンに塗られたニスをも融かすものがあるのです。
ヴァイオリニストを目指す者は、自分次に大切なものです。
しかし、このシミだけはどうする事も出来ないのです。

知っていますか。
このシミは、涙なのです。
血の涙なのです。決して『涙は心の汗だ』なんてものではないのです。



ヴァイオリニストとして桧舞台で活躍できる者は、ほんのひと握りです。
その他、大勢は諦めなければならないのです。
自分の才能のなさ、不運を嘆き、または、もう一度挑戦するために涙するのです。
練習に練習を重ねて鍛錬した者にしか、その時に流した涙の意味は分からないでしょう。

物事をやろうとして、出来なくて諦める事は決して悪い事ではないと思う。
しかし、本当にやろうとして諦めたときどんなだったでしょうか!
このヴァイオリニストのようにニスをも融かすほどのを流したのでしょうか!

この、知っていますか!
諦める前に、涙するほどに~~したか。

2014年10月30日木曜日

人生、これでいいのか

こんなことを感じたことはないか!

すべてが上手く行きそうだった。
確かに、普通にしていれば上手くいくと思われた。

こんな時、このように感じたことなないか。
「何かが足りない。せっかくの人生だ。成功だけが人生ではないのではないか。
そもそも成功とは何だ。分からない。」

一般的に成功している人を見た。
人生の表しか知らないような人だった。
それなりに風格もあり教養もある。
しかし、話に興味が湧いてこないし、その人に興味が全然わかない。

その時、私はこのように感じた。
すべては、お膳立てされた成功だし、自分の身を持って人生を切り開いた人では無いだろう。
人生の悲哀も感じることも無いだろう。
そうだとしたら、あまりにも人生が勿体無いと思った。



人生、これでいいのか。」

私は、クリスチャンでは無いが聖書は読んだ事がある。
ゴルゴダの丘の場面でイエスが十字架ではりつけされる場面だ。
そこで、手と足に杭を打たれ腹を槍で刺されるのだ。
苦痛を和らげるために用意された麻酔のアルコールを、イエスは口にしなかったのだ。

それは、こんな理由だった。
人の持つ苦しみ、苦痛、哀れを身を体験しなければ人を救えないと信じていたから、
敢えて麻酔を拒んだのだ。

これを知ってから、自分が優しくなった気がした。

人生、これでいいのか。」

2014年10月12日日曜日

私の信念(人は誰でも英雄として~~)は、こうして出来た。

私はこう思っている。
人は、誰でも英雄として生き死ねる。

世間では一般に、こう言われている。30歳過ぎたらこうだ。40歳過ぎたらこうだ。
50歳過ぎたら自分の顔に責任をもてとか、そして、私が一番いやな考えは若い時にどんな事をしたかで、
その後の人生が決まって、その自分がある。
つまり、今までの過程により人生が予測されることである。
確かにその通りかも知れない。そしてある程度の年齢になったらそれなりの人になる。
そして、その後の人生はもう決まってしまうなどを言うことである。

私は、この考えは好きになれない。
なぜなら、ある程度の年齢になったらそれなりの人で止まってしまうからである。
私は、いつでもアクテイブに行動する人が好きだ。
なぜなら、現在この瞬間が大切であり、それなりの人になっても何も行動しないなら退屈なだけである。

私は、人はいつでも英雄のように生きる事ができると信じている。

私の信念はこうである。
[人は誰でも英雄として生き死ねる]
もし、『貴方が49歳と364日までは落ちこぼれの人生だとしても49歳と365日の日に、
愛する人を救わなければならないとし、自分の人生もしくは今までの人生の全てを賭けて
行動したら貴方は英雄として生きた』ことになる。

私がこの信念に至ったのは、ある映画によるものである。
その映画は、『ジャック・サマースビー』 MovieWalkaer 作品
ジャック・マサースビーDVD

この映画は、はっきり言って秀作でもなく一般的に感動的でもなく、
そして、ジャンルはまたは思想は何かと問われたらすぐには答えがだせない。
感動的な恋愛ものでもなく、家族愛でもなくましてや冒険でもなく、はたしてなんだろう。
とにかく退屈な感じの映画かもしれない。

この映画の主役は男なのか女なのかも意見が分かれる作品であるが、
最後のクライマックスまでは男が主役と思うが、主役の妻は赤の他人で恋感情なんて何もない。
つまり、ある事を理解または感じる事ができなかったらとても退屈な映画である。

では、この映画は何を言いたいのかも最後の方になってなんとなく分かったものである。
そして、この映画のクライマックスは最後の15分くらいの場面である。
最後の死刑台の場面に全てが集約されている。



最後の絞首刑の場面である。
死刑台の上で男が不安と孤独と死への恐怖で耐えられなくてなっている。
すでに、落ち着きを失っている。
自分のした事は何だったんだ。

もし、ここで真実を証せば死刑は免れるかもしれない。
しかし、
それは、嫌だ。卑劣な自分で生き延びる事は出来無い。

最後の望みに賭けているのがわかる。
必死に妻を探しているのだ。

もし、ここで妻が来なかったら、自分のした事は全てが無意味となる。
それだけはない、ただ単に無実の罪を引き受けただけで死んで行くのである。
これでは、人間としての尊厳も何もない。ただ卑劣な自分で死んで行くだけである。

でも、妻は来た。

妻役のジュディ・フォスターが、群衆を掻き分け進みでて
「ジャック、私はここよ」と叫んだ。
絞首刑になる男が妻を見つけた。
そしてこの時、男の表情が何かをやり遂げた自信に満ちた表情になった。

ここで、この映画は「THE END」で終わりである。
見終わって、すぐには感動が無かった。
幕が下りて、少し経ってからであるが、大きな感動では無い。

しかし、私の心の中に、入り込んでいていつまでも時折、
あの死刑台の場面が浮かぶのである。


私は、この最後の場面の死刑台での男の表情にこの映画の全てがあると思っている。

この男は自分の結末の死において、自分は図りしれない偉大さな事をしたと感じたのだろう。
それは、自分は卑劣な男では無い。
自分は、【英雄として生き、英雄といて死んだ】と、至上の感激をしたことだろう。


ここで、普通に女性には、この事『英雄として生き、英雄として死ぬ』ことを分かってもらえるだろうか。
なぜなら、勝手に無実の罪を背負って死刑と引き換えに自分は『英雄として死ぬ』ことに偉大さを
感じただけの自己満足なのだから。

しかし、妻は分かったのだ。
この男が『どう生き、死ぬかを自分に問いかけた事を』
そして、この男は『卑劣な自分で生きながらえるよりは、生命を賭けてでも英雄として生きたい』事を。

私は、ここでどんなに今までの人生が怠惰であり落ちこぼれで、
どうしよもない人生だとしても、いつでも
人は、誰でも英雄として生き、英雄として死ねる』と言うことが信念になりました。







2014年9月25日木曜日

人生はロマン・浅田真央さんとラフマニノフのピアノ協奏曲 NO.2

フェイスブックでこんな言葉があった。

人生はロマン。
自分は不幸だと思う悩むのではなく、
試練を与えられた物語の主人公だと思えば、
人生をエンジョイできる。
 美和明宏

これだ、
ネットビジネスで著名な人もこの事について言っていた。
自分の物語を作ることである。
しかし、ネットビジネスにおける物語は、ほとんどが嘘であることも言っていた。
自分の真実に基づいていない人は、必ず消えていくそうだ。
必ず勝ち残る事ができる人は、自分に忠実な人だそうだ。

私にいたっては、人に語れるような物語は全然ないし、至って普通としか表現しようがない。
また、どう見ても現在の自分は決して人に誇れるものではない。
あまりにも普通に負け組と言う感じである。
つまり、物語にならないのである。

ある人がこんな事を言っていた。
何処へも行かなくても良い。大それた経験がな無くても良い。
人を惹きつける武勇伝なんて必要ない
友達が居なくても良い。

誇れるものがないなら、自分を磨けばいい。
たくさん本を読んで感性を磨けばいい。

する事は、努力する以外に何もない。

感動の動画:浅田真央さんが採用したラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番 
作曲家、ラフマニノフは再起不能と言われた時から4年間にわたり苦しみぬいて再起を果たすために最後に完成させた曲。
この曲は、ラフマニノフの人生そのものであり、
そして浅田真央さんのラスト演技にあまりにもドラマチックで感動的。

2014年9月10日水曜日

泣いてもいいんだよ / ももいろクローバーZ・中島みゆき / cover:伸[nobu](Song & Chorus)

泣きたくても泣けない時が、
苦しいのは誰ですか。

「強くなれ 泣かないで」「強くなれ 負けないで」
「大人になれ 泣かないで」「大人になれ 負けないで」

でも、もう泣いてもいいんだよね。

* 素晴らしい動画と歌で感動を、そして心と身体に休息を


2014年9月9日火曜日

脳は、神秘だ


人間には左脳と右脳があるが、ほとんどの人は右脳を使って仕事しているように思える。
左脳を使ったとしても、右脳が感じて左脳に問いかけて又は、以前の経験から左脳の中から答えを導いているとしか思えない。左脳は学生時代で止まってしまっているのではないか?

回りを見渡してみよう。
いったい、どれだけの人が左脳を働かしているか。
この素晴らしい左脳を使わなくてはいけない。
今、左脳を使うにはとてもエネルギーを使うだろう。

私は、左脳を使う事、左脳を働かせる事にした。
私の目的を叶えるためには左脳を働かせる必要がある。

私の脳は、とてつもない事を成し遂げる気がする。
左脳だけでは自分が何処かへ行ってしまい、不安になる。
そこで、右脳の感情で左脳を制御し、目的の計画を構築し実行するだろう。
私は、この自分の左脳の偉大さにこころを震わしている。
そして、右脳の行動力と強さに感謝している。

上手く行きそうだ。
あゝ、神様が授けてくれた左脳と右脳を限りなく働かせて生きなければ。
この私の脳は、子供のように疲れをしらない。
また、私の脳は、子供のように想像力がたくましく限りない力を持っている。

この私のしらない私の脳を働かせるぞ。
私の脳は、神秘だ。神様だ。
この私の脳の神様にすてべの望みを託してみよう。

上手く行きそうだ。

2014年9月6日土曜日

これから映画みるのに、こんな想いが

これから、崖っぷちの映画を見るけど、こんな想いが湧いてきてしまった。
普通は、見たあとに感想を書くだろうけど私はこれから見る映画のパンフレットのイメージから私が思っていることを書いてみてしまった。

岩山の崖を登るクライマーの映画だ。
何に惹かれたか、それは『崖っぷち』である。
そして、私の言うところの崖っぷちは恐怖でしかない。また、高い所は嫌いなんです。
今の私には、この言葉『崖っぷち』が合ってるし、それが今どうしても必要なんだとわかってきた。

『崖っぷち』、絶対絶命の時である。
この時が、私が持てるすべての力を出し切れる時です。
そして、いま私が持てる以上の力を出せる可能性がある時なんです。

今、このチャンスしかない。
私はある目的のために今持っている以上の力が必要なんです。
私の壁(目的)はあまりにも大きくて、普段の自分の力では克服することは、成し得ないと思っているのです。
だから、もしかしたら、私自身が無意識の内に自らを『崖っぷち』に追い込んだのかもしせん。
それでいいんです。それしかないんでしょう。

それなんです。
この時なんです。
今、こころが震えているんです。本当のところとても怖いんです。すべてを失うかもしれないんです。
私には、やらなければならない事があるんです。その、やらなければならない事はとても力を必要とするんです。

私は、自らやらなければならない事のために、自らを『崖っぷち』に追い込みました。
あゝ、神様。
私の、やななければならない事は、決して自らのためではないんです。
私が、成功することにより、ある人が自分を尊敬できることなんです。
他人からしたら些細なことかもしれないんです。
でも、私にとってはとても大切なことなんです。
ここに生きた証にもなることなんです。

そのためには、私は自らを犠牲にしてもいいんです。
あゝ、神様! 
こんな私のために、力をお貸しください。
こんな私を、ある人が尊厳を得る事ができるまで、私に力を与えてください。

私は、この崖っぷちが怖くて怖くて震えています。
この[ふるえ」は、この「震え」とこの「奮え」の2つが私の心にあるんです。

もしかしたら、この崖っぷちから落ちるかもしれないし、
いつかは落ちるのではないかと思っています。
望みが叶うなら落ちてもいいんです。

でも、神様、

もう少しでも生かしてください。私の望みが叶うまで!


2014年8月28日木曜日

落ち込んだ後に見ると心に響く松岡修造メッセージ

落ち込んでいるあなたへ! 松岡修造のメッセージが素晴らしい。



何も、考えないで

何も、思い浮かべないで見てみよう。



素直に、この言葉を受け入れてみよう。



いまの自分には、すーと心に浸透していく。



『今、崖っぷちだと思っている貴方、それが最高のチャンスなんだぜ、

自分のすべての力を出しきれるんだから』



2014年8月23日土曜日

こころ気高いあの人への贈り物

私は、こころ気高いあの人へ自分の心の内を証したい。

こころ気高いあの人への証として、あの人の気高さが似合う物を贈ろう。

こころ気高いあの人へ贈り物は、匠の技が染み込んだ物しかない。
こころ気高いあの人へ贈り物は、自然の恵みを育んだ物しかない
こころ気高いあの人へ贈り物は、古き良き伝統を受け継いだものしかない。
こころ気高いあの人へ贈り物は、雨にも風にも負けず、四季折々を楽しめるものしかない

[柿渋染、京都帆布バッグ]

私は、想像してる。
 こころ気高いあの人は、この贈り物を、自然に身につけていることを
 そして、この贈り物はいつまでも日常の一部になることを

そして、私は今に思う。
 この贈り物が、私の想いを超えてしまうかもしれないことを

2014年8月19日火曜日

この言葉に何が言えよう

若い時に、少しの間だけ年下の女性の友達がいた。
今思えば、この人は純粋で楽しことなら何でもしたいし自由奔放な感じでした。
また、その日一日をどう過ごそうか考えている感じでした。
だから、仕事は上手くいかずいつも怒られていると言っていました。
どちらかと言うと世間からは、よく思われる人ではなかったでしょう。

ある時、こんなことを言ったのを今でも覚えている。

あと、どのくらい生きれるかな。』『今度、入院したら~かもって』
この言葉は、この子の母親がいつも言っていたことで母親の兄妹は長生きしていないのです。

そして、『ここが少しおかしい(体の一部)』。
見た感じは少し病弱な感じの人でしたから、少し心配していましました。
たぶん、知っているのでしょう。普通の人より生きれないことを。

その後、別れる事になりました。
原因は、私とこの女性とでは全てがまるっきり反対だったのです。
性格も考えたかたも何もかも。

いまでも、この時のことを忘れていない。
「これが一期一会だとしたら、こんなのあるか。ただの苦痛だけじゃないか」
「神様、どうしてなんだ。俺の時間を彼女に与えてもいいじゃないか」
神様へ訴えたことを

あと、どのくらい生きれるかな』と言ったこの人に
何が言えよう。
この女性は、毎日を精一杯生きているではないか!
人生を生ききろう、としているではないか!

自分の人生を試している、ようにみえるではないか!


どうして今こんなことを思い出したのだろうか?
私の神様が言っているのか、
『残された時間を試せ』

2014年8月12日火曜日

永遠のゼロ を読み終えた

今年1月ころに買った本、《永遠のゼロ》をやっと読み終えた。
読み始めたのは、7月下旬からで2週間くらいで読み終えたが正味は1週間くらいである。




永遠の0 Blu-ray通常版





なぜ、こんに期間を置いたか!
  以前、書いたブログ:
私の心境・・・・・・センチメンタルなのだろうか

映画と本、どちらも見て読んだ。どちらがいいかと又は、どちらを先に見たり読んだ方が良いか
と問われたら、私の返事は、どちらでも良いと返事する。

映画は最初の場面から息を詰まるようなものと感動があるし、本の方は最後近くで《はっと》するするものがある。
どちらも感動的なのである。

永遠のゼロみたいなビデオ:女性の歌声によるものです。

2014年7月23日水曜日

映画のコンセプト『すべての、子ども経験者のみなさんへ』が、ぴったしだ。

六本木ビルズの広場にたくさんのドラえもんがいた。
ところで、子どもを連れた家族ずれが多かったのだが、小さな子どもは『なんだろう』って感じで不思議がっていた。


でも、もっとも心躍らせていたのは、もしかしたらその親たちだと思える風景だった。
なんせ、オッサンもオバさんも子どもそっちのけでドラえもんと一緒の写真取ってはしゃいでたりで、
ドラえもんの映画のコンセプト『すべての、子ども経験者のみなさんへ』が、ぴったしだと思ってしまった。


ドラえもんは昭和世代のテレビっ子の夢だったのですね。

この人たちに言いたい「もう一度、夢をみて頑張って」と!


2014年7月18日金曜日

靖国神社の、みまた祭りに行ったけど凄い人でした。

先週の7月13日は、靖国神社のみまた祭りへ行きました。
もの凄い人だった。入口のところでほとんどの人がびっくりしたと思うくらいの人だかりでした。

どちらかと言うと若い人たちが多い。とくに若い10代前後の女性が多く感じられました。

若い女性が多かった理由の一つには、お祭りで浴衣の着物が着れる楽しさと夏の風物詩で例えば金魚すくいなどが楽しめる事だと思いました。
また、出店もたくさん出ており見ているだけでも楽しいですが、やはり食べてく食べたくなりますね!
私は、生ビールと唐揚げを食べました。後は、少し奥の方にお化け屋敷があったのには驚きました。
しかし、それにしては凄い人でした。


大通りの両脇にには提灯が掲げられており日が沈むと綺麗が浮かび上げって綺麗でした。


遊就館へ入ってみました。1階のところは無料でした。1階のは戦闘機の零戦と大砲などが展示されていました。今から70年前の戦争で使われていたものでした。大砲は沖縄戦使われて銃弾の傷が残っていました。
そして、展示物の前には説明文が書いてありましたが、その説文をよく読んで知る人は、どちらかと言うと
中年のおっさん的な人と若い女性でも知的な人が多かったように感じました。
今まで知らなかった事を知りたい!。好奇心の強い人は特にそうだと思いました。


通りすがりに「烏丸せつこって達筆やな~、」の声がしたのでこれを写真に納めました。
若い人は知らないかもしれませんが、元クライオンガールでグラビア女優の烏丸せつこです。

『英霊の永訣の朝を想う』 烏丸せつこ


2014年7月12日土曜日

そう遠くない昔に、~この者たちに何を言えよう。

私の故郷の近くに、そう遠くない昔に白虎隊と言うものがあった。
今から140年くらい昔の幕末ことである。
16、17歳の若者19名が切腹により自害したのである。
藩主、松平容保公に忠義を誓い、容保公こそ正義であると信じていたのであるから、それ以外の信念は無い。
そして、城が炎上している以上は城主の身に何かがあったと判断されるのが常識である。

なぜなら、近くの二本松藩においては、新政府軍に囲まれた時点でも降伏という事はしなかった。
取った行動はあまりにも完璧なまでに武士の掟であった。
お城の下層から順番に家臣の下位から切腹し介錯した者が火を放し、最後に城主が切腹し介錯人が最後の天守閣に火を放したのである。

ならば、この若者達のとる行動は一つしかなかった。この身を持って城主、松平容保公に尽くすのである。

すべては、藩主の松平容保公にこそ正義があり、命にかえても容保公の正義を証さなければならない。
もし、この正義を証さずに生きる事は、彼らには出来なかった。


ここに生きる価値と言うものが問われると思う。
自分が誇らしく生きるとはどうゆうことか!



そう遠くない昔に自害した者たちに、何が言えよう。
これほどまでに、強烈な信念と生きる価値に対して、誰が何を言えようか。
私には、返す言葉などない。


今日の人々は、自分の信念よりも正義と思っていることよりも利害や損得が先に来てしまう。
どうすれば健康で長生きできるかである。それも良い生き方だと思う。


しかし、そう遠くない昔に自害した者たちのように自分を律する掟はあるだろうか。
もし、自分を律する掟に従って生活したなら大概のことが出来たことだろうと思っている!

2014年7月8日火曜日

いっときでもと、~~いいと思っている

先日、ある女の人に私が作ったHPの「母の日」を見せた。
その人は雑誌の記事や広告チラシ等の編集をしたこともある女性でした。
どちらかというと丁寧に読んでくれている感じでした。
そして、その女の人に感想をもとめた。

「どうですか?」とたずねたが返答がない。
少ししてからその女の人はフェスタオルで被っていた顔をあげた。
そして、『私をみて分からないの』とだけ言った。
その女の人の瞳は濡れていたのです。

私は、このページを書いて良かったかどうか分からない。

しかし、この女性が、感動して今までの心のわだかまりや鬱積したことなどが
一時(いっとき)でも消し去ってくればそれでいいと思っている。


                                                                                           

2014年7月5日土曜日

自分のすべきこと

この人たちは、自分のすべき事を行っている。
しかし、他の人たちと大きな違いがある。
それは、するすべき事を誰からも与えらていないことである。



普通の会社であれば、すべき事はほぼ決まっており例えば、開発系の自由度の高い職種であってもその方向性は、決まっているのである。

しかし、ここの人たちは違う。
自分でするべき事を作り出さなければならないのだ。
そして、誰からも何も指示されないのだ。
何事も、自分で考えて自分の発案の成功を信じて自分で行動しなければならないのだ。
そして、その行動はとてつもなく厳しい。
つまり、その行動には際限がない。倒れるほどに睡眠時間を削り、知力と頭脳を酷使している人もいるだろう。ここの人たちは自分の限界を超えることができるのではないかと思っている。

しかし、ここで自分にはこのような事が出来るだろうかと言う疑問が湧いてくる。
それよりも、自分には知力と頭脳を働かせる事が出来るだろうかと言う疑問が湧いてくる。

できるだろうか?
この疑問に対して考えてみた。何がこの人達と違うのだろうか?私がこの人たちと同じように行動するにはどうしたら良いか考えてみた。

人間の全ての行動と感情は、脳の指令によって行われているとするとして違いは脳にあるとする。

そこで私は、私自身を解析して私の脳がどう行動されるにはどうすれば良いかを探ってみた。

まずは、私自身を見てみよう。
身長:171.5cm 体重:67kg 視力:両目0.2(メガネ矯正1.2) 身体健康状態:極めて良好
心身健康状態: ? 出来る作業:肉体労働・指示された頭脳労働(開発系の仕事)
性格:温厚・飽きやすく熱しやすい その他・思い出等:駅伝のために一人で練習することができたこと。今していること:ジムでのトレーニング ブログを書かなければならないといつも思っている。
この中から、この人たちと同じようなことは何かを抜き出してみた。

一つだけそれらしき事があった。思い出だけども駅伝のために一人でも練習することができたことだ。これはどちらかと言うと肉体の苦痛と精神の対決だったかもしれない。

この時の日々を思い出してみようと思う。可能なかぎり詳しく。

私は、走るのが好きだったと言うより肉体を使うことに快楽を感じていたのかもしれない。
苦しかった。しかし、自分の限界をぶち破ろうとしていた。
しかし、とても苦しかった。一人の競技の場合は全力を尽くして倒れるまで力を尽くすこともできるがこのスポーツは、タスキを継なぐ責任があり決して倒れることはできないのである。
でも、倒れる寸前まで全力を尽くしタスキを渡すことができた。
駅伝で走っていたときは、沿道の応援や声援を受けて、私は英雄の気分であった。

ここで、不思議な事がある。
それは、あまりにも苦しい少し力を抑えようとする事もできた筈であるが、それができないのである。それは、つね日ごろの練習により自分の体に苦痛に追い込むようにできていたのである。

もしかしたら、これだ。
新しい事に挑戦する自分へ自身の行動に苦痛に追い込むようすればいいのだろう。それは、同じ行動を何度も何度も繰り返して自分自身を作り変えるようにすること。
それは、脳を使うことである。そして、成功したときの又は今日の私自身がいづれ訪れる自分にたいして英雄と感じること。



今まで私は楽をしていたのだ。今までの自分で出来ることだけをしていたのだ。
私は、脳を使うと言う意識がなかったのだ。いや使う必要がなかったのだ。
ここから始めるしかない。
とても、とても厳し世界だ。
この厳し世界に挑んでいる自分を誇らしくて感じてそこに快楽を感じるようにしよう。
絶対に人と比べることはやめよう。人それぞれ違うのだから。

この戦場とも思える世界で自分だけの厳しい世界を一人でも生きていきたい。
いづれ訪れる私自身が英雄であったと証明するために!


2014年6月28日土曜日

Sweet Baby Experiences Rain for the Very First Time

雨の日の一日

なんど見ても、心の疲れが消えていく

なんど見ても、幸せな気分になれる。

こんな感動は、もう自分にはないのだろうか! 探してみようと思う

2014年6月25日水曜日

昨日買った本が関連検索サイトに出てきた

こんな事があるのだろうか!
ブログを書くためにネットで意味を調べたら、昨日買った本が関連検索に出てきた。

渇望と検索したら、関連検索サイトに(映画の旅人)「放浪記」が出てきたのでびっくりした。

昨日に買った本は「放浪記・林芙美子作」ですが、買った理由は、始めの方に『私は宿命的に放浪者である』と書いてあったからである。

何かを渇望している私は、放浪者なのだろうかと思ってしまった。
でも、一生涯を旅人の人生であっても悔いは無いと思っている。


放浪記 (岩波文庫)

お薦めの本はと聞かれて、

昨日はこんな事があった。
最近よんだ本でお薦めな本は何と聞かれたので、つかざず私は百田尚樹の『輝く夜』の中の『ケーキ』が「いいよ」と言った。そして、私はこう言った「あまりにも切ない話なんだ。突然に叫びたくなった」
そして、今読んでいる本はどんな本ですか。と聞かれたので、「戦争と平和のトルストイ作で4部の後半まで読んだ。もう少しで完結する。」と答えた。また、ドストエフスキーの本も読でるしロシア文学が好き。
訪ねた方は、以前に本屋に勤めたいた方なのでその本があることは知っていた。
この本は文芸作品で有名なロシア文学である。

そして、どうしてそのような本を『お読みになるの』と聞かれたが、簡単には好きだからと答えたが自分でも何故だろうと思ってしまった。とにかくロシア文学でドストエフスキーなんかは、軽く読める本では無いと思っているから。

何故だろう!自分は最近の軽いような本は読み続ける事ができない。
たぶん、自分何かが要求しているからだと思っているけど、もしかしたら何かを渇望しているのだろうか!何かが足りないからか、分からない。


2014年6月10日火曜日

HAPPY FUKUSHIMA

私のブログの統計の閲覧者をみたら海外の方もいらっしゃった。
自分でも驚きです。
それで、このビデオをぜひ見ていただきたいので投稿します。

2014年5月29日木曜日

自分のブログのプロフィールを書こうとしていた。そのプロフィールは、自分の信念についてであり、人から見たら多少大げさと思われるものである。しかし、この校長先生のビデオをみたら自分が恥ずかしくて情けない。



この先生は、どうしようもなく悩んでいたのでしょう。原発により他県へ避難する人と残る人では、断絶的なものが生じる事を悩んでいたのでしょうか!
そのことはいつまでも残ってしまうことを、しかし、なんとかして皆の気持ちを繋止めようとしているのでしょうか!破壊される故郷を自分を楯にしてまでも守ろうとしているのでしょうか! 素晴らしい校長先生で教師です。

この校長先生からしたら、今の自分は恥ずかしいい。ブログへアップしないほうが良いと思うが、ブログのコンセプトは「自分の心に浮かんだ事や、心が動かされた時に、書く~」なので、ブログへアップする。

2014年5月9日金曜日

私の心境・・・センチメンタルなのだろうか

今日(5月6日)は、渋谷で映画を見た。
この映画のタイトルは、『永遠のゼロ』である。この『永遠のゼロ』を映画館で見れるのは最後かのしれない日である。

私は、このタイトルの本を昨年末に知人のオススメで購入した。
しかし、少し読んでそのままであった。
そして、その本の作家の違う本を購入したがその本は最後まで読んだ。
とても感動した。この本は短編小説集で『輝く夜』の中の『ケーキ』が叫びたくなるほどに心を動かされた。


なぜか私は、オススメの本『永遠のゼロ』を最後まで読まなかったのか?いや読むことができなかったのか?
そして、みたい映画を最後の日まで引き伸ばしたのか、他に人から見たら理解できないかもしれない。

理由はこうだ、例えば我が子がオリンピックへ柔道で出場して相手にリードされて挽回するためには、一本勝ちにか残されていないとしたら、見ていいられるだろうか!
私は、可哀想で見ていられない。この時は祈ることだろう。

この映画の歴史背景は誰よりの知っているつもりである。なんせ、小学校の体育は今思えば日本陸軍か海軍の体操そっくりだったし、担任の先生は今は亡き小野田少尉みたいで、教官と呼ばれていた人だった。さすが教官とだけあり凄く厳しい人でしたが、完璧に生徒全員の人気があって面白かった。(今日、天気がいから花見いくぜ・・・この授業今じゃありえね~)

そんな心境でこの評判の良い『永遠のゼロ』は、最後まで引き伸ばしたのだろう。
それで、あまりにも切なくなるので、この本を読むことできないし、この映画をなかなか見る事もできなかった。


こんな心境を持っている私はなんてセンチメンタルなのだろうか!

2014年4月30日水曜日

想い出のクラシック音楽 諏訪内晶子のバイオリン

今日、久しぶりにクラシックのCDをかけた。
このCDのには、深い想い出がある。
初めて買ったクラシック音楽のCDで、もう20年近く経つだろうか。

この当時私は、気分が塞ぎ込がちで少々ノイローゼ気味でした。
そして、たまたま買ったCDを聞いたら、その時の感想は凄い。そして、他の人のCDも聞いていみました。しかし私が最も体に感じたのはこの人、諏訪内晶子さんのバイオリンでした。
この諏訪内晶子さんのバイオリンは、私の心にわだかまっていた何かを吹き飛ばそうとしている。

しばらくして、雑誌に諏訪内晶子さんのコンサートがある事を知りました。
東京のサントリーホールでした。「クラシックのコンサートなんて敷いが高くて~」でも、どうしても行きたくなりました。
コンサート日までは一ヶ月以上ありましたが、電話してみたら席が5つか6つ空いていました。
コンサート代は私にとっては安い金額ではありませんでしたし、地方都市に住んでいたので新幹線代、宿泊費と小遣いの範囲を超えていました。
でも、私の心のわだかまりを吹き飛ばそうとしている人のバイオリンを直接聞いてみたい。

バイオリンの弦の毛が切れて行くのが見える位置の席でした。
思っていたより激しい動き、生の演奏とはこんなにも響くのか!
会場に着いて知ったのですが、諏訪内晶子さんは10年ぶりの日本でのコンサートだったのです。
凱旋帰国の最初のコンサートだったのです。だから諏訪内晶子さんも気合が入っていたのでしょう。
諏訪内晶子

諏訪内晶子さんのバイオリンは、優しさとか癒しよりも
日本刀の刃のような研ぎ澄まされた輝きと鋼鉄の強さとかが似合う気がします。
弱り果てていた私の心に、復活の力を与えてくれたようでした。

2014年4月27日日曜日

毎日が悪いか最悪かのどちらかであると思ってみた。

私の毎日は悪いか最悪かのどちらかである。
そう思ってみた。
そうしたら、不平不満が沸かないことに気づいた。
現状を精一杯でなければ生きれない。

今日、これとこれをしようとしたけど、上手くいかない。
面倒で煩雑でまとまりがない、やりづらい、これでいいのだ。
誰もが、やりにくいからしないのだ。最悪か、それでいいのだ。
明日も、悪いか最悪だろう。これにぶち当たるしかない毎日である。

面倒でやりにくい事を今日は少しできた。

これでいのだ。

2014年4月24日木曜日

私たちの人生はすべて修行である。

昨日4月22日は、会社をおもいっきり休んで塩沼亮潤(しおぬまりょうじゅん)と登山家、冒険家の栗城史多の対談を聞きにいった。

 この二人は、共に変態だって自ら言っていたくらい面白かった。
 なんで、こんな苦しい事すんの?ってから話が始まったけど。
結論は結果よりも過程にあることだけがなんとなく分かった。

 話のメインはこの方で、大嶺千日回峰行をした人でお坊さんです。
 千日回峰とは、この千日間山の中を一日48KM歩くこと。
そして、いったん行に入ったら、何があっても骨が折れても止めることは出来無い掟なのだ。
 もう後戻り出来無いという事です。


 もし、この行を途中でやめるときは、

「神様仏様申し訳ございませんでした。
 千日間歩き通しますと申しましたが~~~~。」

で短刀で自分自身の腹をかき切って自害するか首をつるかで命を断つ掟。

 毎日が悪い最悪かなのだとのことでした。


 人に説教するには、ここまでしないといけないのかと思いました。
一番最後に行うは、断食と不眠と横なならない行である。

そして、このの前には、生前葬式を行うのです。
普通に考えたら、ドクターストップであるが、それを越えて行うのです。

ここで、もしお釈迦様が、『お前を必要とするなら生かして置くだろう。』と言う。

とにかく説得力がある話でした。 今の自分には凄く大きい価値がありました。。   この事は買った本のも書いてあるけど、まだ3分の1しか読んでない。
全部よんだらまたブログに書こうと思っている

2014年4月22日火曜日

夢の中、母との記憶

少しまえに、こんな夢を見た。
を背負って、桜並木を歩いているだった。
心の中で、ちっぽけな私が「夢を忘れたくない」と叫んでいた。
だから私は、夢の記憶を書き残すことにした。

書き残す文章は、綺麗な文章でなければならない。
でも私には、想いは有っても上手くは書けない。
それで私の、つたない文を素敵な人に校正と編集して頂いた。
桜並木


『気づいたら、母と私はそこにいた』

それは夢の中の話。
私は前に向かってゆっくりと歩んでいた。
飽きれてしまう程の単調な夢。
でもなぜか、喉のあたりに引っ掛かるものを感じた。

「いったいなんだろう。」
ふと視線を向けると、そこには母の手があった。
見間違えるはずなんてない。
懐かしい、あの優しい母の手だった。

そういえば背中に少しの重みを感じる。
どうやらこれは母の重みらしい。
母は今、私に背負われているのだ。
視界の端に、母の少しくたびれた農作業用の服が映った。

それにしても、いつの間にこんなに軽くなってしまったのか。
私は急に自分が不甲斐なくなった。
今まで気づかなかったけど、私はこれまで母にたくさん心配をかけてきたのだと思う。
いや、もしかすると私はわざとそのことに気づかないようにしてきたのかもしれない。


私は母の服を綺麗な和服に着替えさせた。
これでよし。
私はまた、母を背負って歩き始めた。
道の脇には立派な桜が咲き誇っている。
風が吹くたびに舞う桜が、時折私と母のもとにやってきた。

この道は初めて通る道だとずっと思っていたけど、
どうやら違うらしい。
この道は、自分が幼い時に母の背に背負われて歩いた道だ…!

そう気づいた瞬間、胸がきゅーっと締め付けられるのを感じた。
少しだけ、息を吸うのが苦しい。
私の背中で、母が何かを話していた。
たぶん、とりとめのないの世間話だったと思う。
でも詳しい内容はどんなに記憶を遡っても思い出せない。

ただ私は、母と話を合わせることに少しばかりのもどかしさを感じていた。
母にとって私は子どもでも、今の私はもう子どもではないからかもしれない。
もう子どもの時の私には戻れないのだ。
母との距離は大分離れてしまった。

なんともいえない寂しさと、
小さい頃歩いた道をまた母と一緒に歩けている嬉しさ。
桃色の景色の中、母を背負って歩く私の心の中で
いろいろな感情が綺麗な模様を描きながら静かに渦巻いていた。

続く~~。
母の日ギフト特集