2019年7月14日日曜日

サラ金の取り立てに、怯えて学校へ学校へ行けなかった少女が作り出したもの。

多くの人を救った法律は、〈サラ金の取り立てに怯えていた少女〉が作り出した。

少女(参議院議院、森まさこ)が子供の時、両親は知人の借金の保証人になるが、知人はお金を返せなくなり行方不明となる。

中学生の少女の家には、テレビは無く普通の少女らしい時はなかった。
いつも、サラ金業者の取り立てに、怖くて学校へも行けない。

中学卒業後は、就職するつもりでしたが、家に弁護士が来たのです。
少女にとっては、この弁護士は「スーパーヒーロー」でした。

その日から、すべてが変わったのです。
目の前の世界、すべてが変わったのです。

私、絶対に弁護士になる。
困っている人を助ける。

憧れてた、高校進学が叶ったのです。
高校進学後は、奨学金だけでは足らず生活のためのアルバイトもしましたが、学校の成績はトップクラスでした。

少女にとっては、サラ金の取り立て無くなっただけでも、嬉しかったのです。
そのうえ、高校まで行けるなんて!


少女は、猛勉強し金融庁へ入り〈金融庁Gメン〉、米国留学する。
その後、作り出したものが、「消費者庁設置関連三法」。

監修:森まさこ(現、参議院議院)

この法律により、サラ金による異様な取り立てななくなり、犠牲者がほぼ無くなりました。

森まさこ(参議院議院)

《サラ金の取り立てに、怯えて学校へ学校へ行けなかった少女が作り出したもの。》





2018年3月21日水曜日

福魂祭の寄せ書き。『2011. 7.27 わたしは、うまれました。』この子は、未来に何を見ているのか!

第7回福魂祭の寄せ書きに、『2011.7.27 わたしは、うまれました』と書いてあり、見入ってしまった。



『2011.7.27  わたしは、うまれました。』

これを書いた子は、今年で小学校1年生です。
この子は、何を思って書いたのだろうか?
もしかしたら、今回出演した母校の子だろうか。

小学生が、確かに現実を知り、今を見ているのです

では、未来はどうか!

この子は、未来に何を見ているのか!


この子の未来の礎(いしずえ)となるものを、作ることは、私たち大人の責務(せきむ)である。

この責務とは、何か。この大地を何事も無かったかのようにして、この子に引き継ぎさせなければならないのです。

今年の、福魂祭のキャッチコピーは、
《ふくしまの誇り》
 〈こどもたちの、未来のために〉

このを書いた、この子の為にもわたしは、「未来は素晴らしい」とこの子に思わせなければならない。

3.11の責任は重い。次の世代へ負の遺産だけ残していいのか!復興よりも大事な事。





2018年3月19日月曜日

アドラーの教え二部作を完読。最終の愛については感動的で半端では無い。

どうしても、読みたかったアドラーの教えは、自らを奮い立たせるものがあった。


アドラー心理学を、【哲人】と【青年】の対話を本にしたものです。
一部「嫌われる勇気」、二部「幸せになる勇気」である。

一部から二部へ引き続いているが、すべての問題は、二部の最終章の「愛」に集約されていました。

アドラーの言う勇気は、「愛すること」だったのです。
しかし、このように言うのです。

”人は「愛するこ」とを恐れている。”
「愛するとは、一切の保証もないのに行動することであり、~~~~」
「~~~、愛に身を投げるのです」。



ここまで読んだら、以前読んだロシア文学のトルストイ著「戦争と平和」を思い出した。
ここの登場人物の多くは、「大きな勇気ある人々」だった。

普通の人だとしたら、全然物語にはならないでしょう。

愛とは「決断」である。


是非、読んでみることをお薦めします。


        





2018年3月8日木曜日

3.11の責任は重い。次の世代へ負の遺産だけ残していいのか!復興よりも大事な事。

2011年3月11日の福島原発事故の責任は、重い
復興よりも大事な事が、あるはずだ。

負の遺産だけを次の世代へ、渡していいのか!


それは、
2011年3月11日に起きた。

東京電力福島第一原子力発電所の事故後、現在も廃炉向け作業進行中である。
廃炉終了は2050年ごろとされているが現実には、いつ終わるかわからない。

最終目的は、溶融した核燃料の取出して処理することである。
その為に、多くの人員及び莫大な資金が投入されます。
廃炉・賠償費として、21.5兆円(2016/12/09,日本経済新聞より)


これは、負の遺産である。
このまま負の遺産だけにしてしまっていいのか!
この『つけ』は、確実に次の世代へ引き継がれて行くのです。

我々の世代は、原子力発電による恩恵を得て、事故が起きたら未来の世代の分を使い込んで『復興』させるなんて、調子よすぎると思わないのだろうか!

確かに、『復興』により『次の世代へ負の遺産を残さない』これは、素晴らしいことだ。

ここで、
決して、忘れてはならない事がある。
それは、【次の世代の資産を使い込んでいる事】なのだ。

だから、優先させるべきは、『次の世代へ負の遺産を残さない事』で、次に『復興』になるはずです。

これに、言い訳なんて必要ない。

こんなの、少し考えれば分かる事ではないか!

私の実家は、福島県にあって野菜は一早く出荷制限で出荷できなくなるわ、甥っ子の仕事は無くなるわで、大変だったわ。親戚の家は海沿いだったので家なんてないし、残ったのは人の命だけだった。

でも、こんなところに住んでる母でさえも今は、何も文句なんて言っていない。
ただ、一言だけだ

「命あれば、なんだってできる。いい世の中になったよ。住むところ、食べること、着るもの、何も困る事がない」


戦争体験した母からしてみれば、衣食住が困らないなら、それで十分なことです。
それ以外に何が必要なのか?

母の世代は、戦争により破壊された日本と膨大な借金の負の遺産を、見事に無くしたのです。それだけでなく、素晴らしく世界に誇れる豊かな国にしたのです。


我々が作りだした負の遺産は、次の世代へ引き継ぎさせてはいけない。
何としてでも、次の世代への負の遺産は無くさなければならない。


我々の世代は、安易な平和を享受し、容易な生活をし得た、恵まれた世代だと思うのです。


出典:http://www.imart.co.jp/houshasen-level-jyouhou-old26-2.1.html


今日も
原発の廃炉に向けて作業が行われています。

ロボットが開発されている。放射能除去装置が改良されている。新たな接合技術が生み出されている。

それだけではない、防護服・健康調査方法・製品の素材・労働条件や地域社会の再生についてなど、ありとあらゆるものが改良および開発されています。

例えば、作業員の高年齢化に伴う筋力不足を補うロボット、快適に作業するための防護服などです。こんな物は、以前から有ったものですが凄いスピードで良くなってきています。

これらは、すべて国が資金を出して企業が行っているのです。
そして、企業が社の威信を賭けて凌ぎ合って製品の開発を行っています。
これにより、技術的に他国は追従できないくらいになっています。

以前、ある物で『こんなだったらいいな~。』って思っていたことがあったし、もし出来たら使ったみたいと思っていた物がある。その時は、企業も利益が少ないので製品の開発には力を入れていなかった。

今その製品は、改良に改良を重ねられて日々進化していることを知りました。もしかしたら、使えるかもしれない。(原発の廃炉作業以外で、休日のレジャー関連として十分に使える大変便利な製品です。)*現在、廃炉作業にすべて投入されているので入手出来ない。


国が、企業が本気モードで取組だしています。

そんなの当然だと思う。
これだけ、次の世代の莫大なお金を使い込んでいるのだから。

この負の遺産を帳消しにするだけの物を、創りださなければならない、としたらどこにあるだろうか!

ここ原発廃炉作業の中から創りだす以外にないのです。

この廃炉作業は、今までにない高度な技術を必要としている
だから、今までにないより優れたものが創り出される可能性を秘めているのです。


これは、明らかに皮肉です。
これで良いと思うしここで創り出すことが、最も良いことだと思います。

この廃炉作業で、より優れたものを創り出して欲しい。

ここで、培われた様々な技術・物やシステムは、日本の未来の次の世代に役に立つ筈です。

いいえ、
私たちには、必ず次の世代に役に立たせなければならない、
重い責任があるのです。

何が何でも、負の遺産だけを次の世代へ渡してはいけない。

2011年3月11日の原発事故の責任は、限りなく重い。
次の世代に、負の遺産だけを引き渡すことだけは、断じてしてはいけない。




2015年9月6日日曜日

考えがまとまらないから本を読んだ。

どうしようのないほどに、考えがまとまらないので本を読んでみた。

 本を読んでいて「あっ」止まったところをノートに書き写している。

 かたちを変えれば凄くよく使えると思えるからだ。

 それは、キャッチコピーとかレターの領域をはるかに越えたもの。

 これは、私にしか分からないこと。
 このことに賭けてみようか。



 幸せな人生を棒にふってまで、しなければならなことが私にはある。

2015年8月30日日曜日

私を救ったのは、過去のわたしだ。

日記を書く事にした。

日記を書く事は、これが初めてではない。以前に日記を書いたことがあったが、一年以上続けることができた。その日記は、ある目的のためでした。

その目的を達成するためには、心理的な動きを制御できるかにかかっていました。よって、その日記はおもに心理を描写(びょうしゃ)するものになりました。


そして、日記の威力は絶大なものがありました。

モレスキンのメモ帳です。


ある程度したら、「もういいや」と思い日記を書く事をやめました。そして、自分が窮地(きゅうち)に陥ってしまします。その時、わたしは今までの自分を振り返ってみたのです。
振り返らなければならなかったのです。


ーーーーーーーー
それは、このようなことと同じと思います。
車を運転していて、コンクリートの壁にぶち当たる瞬間のことです。

その一瞬の出来事です。私の脳裏には、今までの過去の出来事やしなければならなかったことなどが浮かんだのです。そして、「神様、お願い。もう少しだけ生かして、まだしなければならなことが」。とその一瞬に自分を振り返って願ったのです。
ーーーーーーーー


わたしは、自分が窮地(きゅうち)に陥(おちい)ったとき、過去を振り返りました。そして、過去の日記張を見たのです。

そこには、自分のしたかったこと、しなければならなかったこと、どうすれば良いかなどの思いが書いてありました。

その過去の日記張は、わたしに勇気を与えました。

過去の私が現在のわたしに問いかけをしたのです。その問いかけは私を窮地から救い出しました。



日記張は、自分を振り返るためにもあると思っています。

モレスキンのノート、手帳、メモ帳

2015年4月18日土曜日

誰かを応援することで、時に自分自身が挑戦する勇気を得ることができる。

私は『みんなでエベレスト』プロジェクトのクラウドファウンディングを応援しています!



☆プロジェクトページはこちら☆

クラウドファイティング:みんなでエベレスト!復活した栗城史多が世界最高峰から生中継!一歩を踏み出す人を増やします。


指切断からの復活!栗城史多は再びエベレストを目指すことを決めた


プロジェクトの主催者である栗城史多は
3年前、凍傷によって手の指9本を切断しました。
そんな彼が再びエベレスト登頂に挑戦しようとしています。
今回のクラウドファウンディングは、
登頂の過程をネット生中継するための資金提供を募るものです。


毎日を生きることは山登りに似ています。
私たちは時に自分のために、時に大切な誰かのために
日々悩み苦しみながらも笑顔を求めて懸命に努力しているのです。



栗城史多はそんな私たちの気持ちを
ネット生中継を通して一緒にエベレストの頂上まで連れて行こうとしています。

目に見える山を登頂することで、
目に見えない山の頂上を目指す私たちに
努力が身を結ぶことを証明しようとしているのです。


栗城史多が書いた本『NO LIMIT 自分を超える方法』の中に、
こんな言葉があります。



成功する確率。それが何の役にたちますか
成功する為に挑戦するのでなく、挑戦するから成功がある。

私が一番気に入っている言葉です。


私が栗城史多を知ったきっかけ


栗城史多を知ったのは、
ちょうど私がこれからの生き方を真剣に考え始めた頃でした。

栗城史多の最初の印象は「すごいことするな〜」と思っただけ。
ただ単純に、登山をインターネットで実況中継するという発想に興味を持ちました。
ちょっとしたきっかけで彼がエベレストへ向かう一ヶ月前の講演に参加したのですが、
爆笑の連続でとても面白かったです。
彼は思ったよりずっと小柄な人でした。




当時の私は、このまま定年を迎えて
少ない年金で生きていく人生でいいのかと悩んでいました。
今までと違う生き方をしたい
私にはしなければならないことがある、と本気で思っていたのです。



しかし一方で、なかなかリスクを取れない自分がいました。
無意識のうちに安易な方向を選び、
いつまで経っても挑戦することができなかったのです。

自分が今まで経験したことのないことをすることが
恐くて仕方ありませんでした。
成功しなかった時を想像した時、
失うものがあまりにも大きいように感じてしまったのです。

そう、この時の私は成功する確率ばかり考えていました。
挑戦なき所に成功などありえないことに
気づいていなかったのです。


前回、栗城史多はエベレストを登頂できなかった


講演会から一ヶ月後、栗城史多はエベレストへ向かいました。
最初は順調に進み、ハイテク機器を使った中継も決行。
私も見ていましたが、
エベレスト麓の景色を目にするのはもちろん初めてで、
本当に素晴らしかったです。

しかし、奇しくも事件は起こってしまいました。

「頂上付近は強風ではあるが、風が収まったら頂上へアタックする」
「栗城は、ただいま頂上へアタックを開始しました」

やがて、次の連絡が入ります。

「頂上アタックを断念し、下山する」

私は小さな登山家を心配していました。

「栗城との通信が途絶えています。ーー救護チームを準備しています」

雲行きの怪しい会話を聞き、
私は彼の無事を心から願いました。
「栗城、頑張るんだぞ!神様、お願いですから彼を助けてください」と。
脳裏には、講演会での彼の様子が蘇っていました。


人はそれぞれ、本当にやりたいことを持っている。



私もあなたも、
人はそれぞれ本当にやりたいことを持っています。
しかし実現するための一歩を踏み出すには
思っているよりも勇気が必要です。


人生は長いように思えて、実は短いもの。
気づいたらあっという間に過ぎていってしまいます。
やりたいこと、なりたい自分があるなら、
行動するべきなんです。


私は栗城史多を応援することを通して
気づいたことがあります。
誰かを応援すること」は「自分を応援すること」ともイコールなんです。

私は自分がエベレストを登っているわけでもないのに
彼の生中継を見ている中で様々な感情を持ちました。
嬉しさや悲しさ、悔しさ、不安…
いつの間にか自分自身が多くのものを得ていたのです。

  ここに、こんな歌があります。
  江戸時代の俳人、小林一茶の歌です。
  「やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり」
  これは一茶が弱い自分を蛙に見立てて、
  蛙に声援を送ることで自分を鼓舞し自分を応援しているのです。


生中継を見ている時、私はまさに同じ状況でした。
栗城との通信が途絶えた時、
確かに「栗城、頑張るんだぞ!神様、お願いですから彼を助けてください」と思いました。
栗城に向けた言葉は、
実は自分にも向けられたものだったのです。


自分ではない他の誰かを応援すること


誰かに声援を送ることは、
時に自分に声援を送ることとイコールになります。
これから何かに挑戦しようとしている人を応援することで、
実は自分の新たな一歩を後押ししているのです。
無意識のうちに他人と自分を重ね合わせ、
「頑張れ!」と両方を鼓舞しているのかもしれません。

栗城史多は、今新たな挑戦をしようとしています。

指を切断しながらも、
成功のために再びリスクを取ろうとしているのです。


もしあなたが私と同じように、


挑戦したくとも恐怖を拭いきれない悩みを抱えているならば
一緒に『みんなでエベレスト』プロジェクトを応援してみませんか?

栗城を応援することを通して、自分の背中を押すんです!
栗城と私たちが共にエベレストを登頂できる瞬間を夢見て、
私はこのプロジェクトを全力で応援します。

☆プロジェクトページはこちら☆

 あなたの為に、みんなでエベレスト

2015年3月28日土曜日

人生最後の宿題

人生最後の宿題

今日は、こんな本を読んだ。
タイトルは『僕は人生の宿題を果たす旅に出た』 リー・グラビッツ著

この本の中の、登場人物で高校教師のジャーヴィス先生がいる。
彼の教室は、アメリカのラテン系の高校でありながら有名大学進学率は全米トップクラスでした。


それには、理由があったのです。
それは、ある問いかけを生徒に問いかけていいたのです。


人は、来るべき時が必ずきます。それは、死ぬことです。
そして、常にこう言っていたのです。

『あなたが、死んだあと他の人たちにどんな自分を思い出してもらいたいか。
その問いの答えが、今後あなたたちのこれからの人生をどう生きるかを
導くだろう』



この本は、とくに50歳代の人に読んでもらいたいです。
それは、50歳と言えば会社では定年を考える時期でもありますし、また体力も気力も十分に使えてもう一度または、最後の(これは貴方のの人生の最後かもしれませんね)行動できる年齢だからです。


また、あなたは後何年か後には死ぬと言う事を感じる取っている年齢だからです。

『あなたは、死んだあとに残された人や他の人やあなたを気にしていいる人に、、
どのように思ってもらいたいですか』

これは、あなたの最後の宿題ではないでしょうか!





2015年2月26日木曜日

メキシコの漁師の話を知っていますか!

このお話を知っている人や、知らない人の為に!
また、毎日を忙しく仕事されている方へ、

 短い文ですが、読んで見て下さい。



メキシコの海岸近くの小さな漁師の村へ、アメリカのエリートビジネスマンが旅行でやって来た。

小さな小舟に、粋の良い魚がいた。


アメリカ人旅行者 「素晴らし魚だね。どのくらいの時間を漁してるんだい。」

漁師 「気が向いたとき気が向く時間だね。魚が取れたら帰ってくるよ」

アメリカ人旅行者 「もっと漁をしたら、もっと魚が捕れるだろう。惜しいな。」

漁師 「これで、自分と家族が食べて生けるから十分だね」

アメリカ人旅行者 「それじゃ、時間が余って退屈だろう。余った時間で何をするの?」

漁師 陽が高くなるまでゆっくり寝てるんだ。それから、漁に行くよ。
     漁から戻ってきたら子供と遊んで女房と茶して、夜になったら友達と
     一杯やってギターを弾いて歌を歌って、これで1日の終わりだね」





アメリカ人旅行者 「ハーバードビジネススクールでMBAを取得した人間として、
     君にアドバイスをしよう。

     君は、毎日もっと長い時間を漁をしなければならない。
     余った魚は売る。そしてお金が貯まっら大きな漁船を購入する。
     そすると、漁獲高も上がり儲けも増える。その儲けでもう1隻漁船を
      増やして行く。やがて大きな漁船団にする。
     そして、自前の加工工場建てる。

   そしたら、君は経営者としてニューヨークのマンハッタンから企業の指揮を取る。
     
漁師 「そこまで行くのに、どのくらい時間が掛かるの?」

アメリカ人旅行者 「20年か25年もあれば十分だね」

漁師 「それから、どうなるの」

アメリカ人旅行者 「それからは、本当に凄いことになるよ。」
           「作った会社の株をすべて売却して、君は億万長者になるんだ。」

漁師 「それで?」

アメリカ人旅行者 
           「そしたら、引退して海岸近くの小さな村に住むんだ。
          そこでは、陽が高くなるまでゆっくり寝て、起きたら漁に出かけるんだ。

          漁から戻ってきたら子供とあそんで、女房と茶して、夜になったら友達
          と一杯やってギターを弾いて歌を歌って、これで1日を過ごすんだ。」


          「どうだい、素晴らしいだろう。」

漁師 「? 」







     

2014年11月15日土曜日

彼のようになりたいなら、彼の真似をすればいいに!

世界的にトップレベルの資産とプライベートジェット機を持っている投資家のバフェット氏に、ある人が訪ねた。

「あなたのようになるにはどうすればいいのですか」

バフェット氏
「毎日、500ページ読みなさい。~~。」
バフェット氏の一日の仕事の80%は、雑誌や新聞や書物の読書に費やすのです。

多くの人がこう思うだろう。
これなら自分にも出来そうな気がする。たくさん雑誌や書物を読んで考えることなら。』
しかし、多くの人が出来そうと思ってもしない。
もっと簡単な方法を探しているのだろうか?
別な方法を探しているのだろうか?
真似ることが嫌なのだろうか?



読書量は、大変な量だし地味な活動で飽きやすい。
そこに、バフェット氏は活動の原点があると言っている。
『俺のようになりたいなら、俺の真似をしろ』

答えは、出されている。簡単なことだ。

彼のようになりたいなら、彼の真似をすればいいに

2014年11月8日土曜日

この涙、知っていますか

この、知っていますか。

ヴァイオリンには、特に練習用のヴァイオリンにはシミが着いていると言われています。
そして、このシミは、なかなか落ちる事はないのです。
ヴァイオリンに塗られたニスをも融かすものがあるのです。
ヴァイオリニストを目指す者は、自分次に大切なものです。
しかし、このシミだけはどうする事も出来ないのです。

知っていますか。
このシミは、涙なのです。
血の涙なのです。決して『涙は心の汗だ』なんてものではないのです。



ヴァイオリニストとして桧舞台で活躍できる者は、ほんのひと握りです。
その他、大勢は諦めなければならないのです。
自分の才能のなさ、不運を嘆き、または、もう一度挑戦するために涙するのです。
練習に練習を重ねて鍛錬した者にしか、その時に流した涙の意味は分からないでしょう。

物事をやろうとして、出来なくて諦める事は決して悪い事ではないと思う。
しかし、本当にやろうとして諦めたときどんなだったでしょうか!
このヴァイオリニストのようにニスをも融かすほどのを流したのでしょうか!

この、知っていますか!
諦める前に、涙するほどに~~したか。

2014年10月30日木曜日

人生、これでいいのか

こんなことを感じたことはないか!

すべてが上手く行きそうだった。
確かに、普通にしていれば上手くいくと思われた。

こんな時、このように感じたことなないか。
「何かが足りない。せっかくの人生だ。成功だけが人生ではないのではないか。
そもそも成功とは何だ。分からない。」

一般的に成功している人を見た。
人生の表しか知らないような人だった。
それなりに風格もあり教養もある。
しかし、話に興味が湧いてこないし、その人に興味が全然わかない。

その時、私はこのように感じた。
すべては、お膳立てされた成功だし、自分の身を持って人生を切り開いた人では無いだろう。
人生の悲哀も感じることも無いだろう。
そうだとしたら、あまりにも人生が勿体無いと思った。



人生、これでいいのか。」

私は、クリスチャンでは無いが聖書は読んだ事がある。
ゴルゴダの丘の場面でイエスが十字架ではりつけされる場面だ。
そこで、手と足に杭を打たれ腹を槍で刺されるのだ。
苦痛を和らげるために用意された麻酔のアルコールを、イエスは口にしなかったのだ。

それは、こんな理由だった。
人の持つ苦しみ、苦痛、哀れを身を体験しなければ人を救えないと信じていたから、
敢えて麻酔を拒んだのだ。

これを知ってから、自分が優しくなった気がした。

人生、これでいいのか。」

2014年10月12日日曜日

私の信念(人は誰でも英雄として~~)は、こうして出来た。

私はこう思っている。
人は、誰でも英雄として生き死ねる。

世間では一般に、こう言われている。30歳過ぎたらこうだ。40歳過ぎたらこうだ。
50歳過ぎたら自分の顔に責任をもてとか、そして、私が一番いやな考えは若い時にどんな事をしたかで、
その後の人生が決まって、その自分がある。
つまり、今までの過程により人生が予測されることである。
確かにその通りかも知れない。そしてある程度の年齢になったらそれなりの人になる。
そして、その後の人生はもう決まってしまうなどを言うことである。

私は、この考えは好きになれない。
なぜなら、ある程度の年齢になったらそれなりの人で止まってしまうからである。
私は、いつでもアクテイブに行動する人が好きだ。
なぜなら、現在この瞬間が大切であり、それなりの人になっても何も行動しないなら退屈なだけである。

私は、人はいつでも英雄のように生きる事ができると信じている。

私の信念はこうである。
[人は誰でも英雄として生き死ねる]
もし、『貴方が49歳と364日までは落ちこぼれの人生だとしても49歳と365日の日に、
愛する人を救わなければならないとし、自分の人生もしくは今までの人生の全てを賭けて
行動したら貴方は英雄として生きた』ことになる。

私がこの信念に至ったのは、ある映画によるものである。
その映画は、『ジャック・サマースビー』 MovieWalkaer 作品
ジャック・マサースビーDVD

この映画は、はっきり言って秀作でもなく一般的に感動的でもなく、
そして、ジャンルはまたは思想は何かと問われたらすぐには答えがだせない。
感動的な恋愛ものでもなく、家族愛でもなくましてや冒険でもなく、はたしてなんだろう。
とにかく退屈な感じの映画かもしれない。

この映画の主役は男なのか女なのかも意見が分かれる作品であるが、
最後のクライマックスまでは男が主役と思うが、主役の妻は赤の他人で恋感情なんて何もない。
つまり、ある事を理解または感じる事ができなかったらとても退屈な映画である。

では、この映画は何を言いたいのかも最後の方になってなんとなく分かったものである。
そして、この映画のクライマックスは最後の15分くらいの場面である。
最後の死刑台の場面に全てが集約されている。



最後の絞首刑の場面である。
死刑台の上で男が不安と孤独と死への恐怖で耐えられなくてなっている。
すでに、落ち着きを失っている。
自分のした事は何だったんだ。

もし、ここで真実を証せば死刑は免れるかもしれない。
しかし、
それは、嫌だ。卑劣な自分で生き延びる事は出来無い。

最後の望みに賭けているのがわかる。
必死に妻を探しているのだ。

もし、ここで妻が来なかったら、自分のした事は全てが無意味となる。
それだけはない、ただ単に無実の罪を引き受けただけで死んで行くのである。
これでは、人間としての尊厳も何もない。ただ卑劣な自分で死んで行くだけである。

でも、妻は来た。

妻役のジュディ・フォスターが、群衆を掻き分け進みでて
「ジャック、私はここよ」と叫んだ。
絞首刑になる男が妻を見つけた。
そしてこの時、男の表情が何かをやり遂げた自信に満ちた表情になった。

ここで、この映画は「THE END」で終わりである。
見終わって、すぐには感動が無かった。
幕が下りて、少し経ってからであるが、大きな感動では無い。

しかし、私の心の中に、入り込んでいていつまでも時折、
あの死刑台の場面が浮かぶのである。


私は、この最後の場面の死刑台での男の表情にこの映画の全てがあると思っている。

この男は自分の結末の死において、自分は図りしれない偉大さな事をしたと感じたのだろう。
それは、自分は卑劣な男では無い。
自分は、【英雄として生き、英雄といて死んだ】と、至上の感激をしたことだろう。


ここで、普通に女性には、この事『英雄として生き、英雄として死ぬ』ことを分かってもらえるだろうか。
なぜなら、勝手に無実の罪を背負って死刑と引き換えに自分は『英雄として死ぬ』ことに偉大さを
感じただけの自己満足なのだから。

しかし、妻は分かったのだ。
この男が『どう生き、死ぬかを自分に問いかけた事を』
そして、この男は『卑劣な自分で生きながらえるよりは、生命を賭けてでも英雄として生きたい』事を。

私は、ここでどんなに今までの人生が怠惰であり落ちこぼれで、
どうしよもない人生だとしても、いつでも
人は、誰でも英雄として生き、英雄として死ねる』と言うことが信念になりました。







2014年9月25日木曜日

人生はロマン・浅田真央さんとラフマニノフのピアノ協奏曲 NO.2

フェイスブックでこんな言葉があった。

人生はロマン。
自分は不幸だと思う悩むのではなく、
試練を与えられた物語の主人公だと思えば、
人生をエンジョイできる。
 美和明宏

これだ、
ネットビジネスで著名な人もこの事について言っていた。
自分の物語を作ることである。
しかし、ネットビジネスにおける物語は、ほとんどが嘘であることも言っていた。
自分の真実に基づいていない人は、必ず消えていくそうだ。
必ず勝ち残る事ができる人は、自分に忠実な人だそうだ。

私にいたっては、人に語れるような物語は全然ないし、至って普通としか表現しようがない。
また、どう見ても現在の自分は決して人に誇れるものではない。
あまりにも普通に負け組と言う感じである。
つまり、物語にならないのである。

ある人がこんな事を言っていた。
何処へも行かなくても良い。大それた経験がな無くても良い。
人を惹きつける武勇伝なんて必要ない
友達が居なくても良い。

誇れるものがないなら、自分を磨けばいい。
たくさん本を読んで感性を磨けばいい。

する事は、努力する以外に何もない。

感動の動画:浅田真央さんが採用したラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番 
作曲家、ラフマニノフは再起不能と言われた時から4年間にわたり苦しみぬいて再起を果たすために最後に完成させた曲。
この曲は、ラフマニノフの人生そのものであり、
そして浅田真央さんのラスト演技にあまりにもドラマチックで感動的。

2014年9月10日水曜日

泣いてもいいんだよ / ももいろクローバーZ・中島みゆき / cover:伸[nobu](Song & Chorus)

泣きたくても泣けない時が、
苦しいのは誰ですか。

「強くなれ 泣かないで」「強くなれ 負けないで」
「大人になれ 泣かないで」「大人になれ 負けないで」

でも、もう泣いてもいいんだよね。

* 素晴らしい動画と歌で感動を、そして心と身体に休息を


2014年9月9日火曜日

脳は、神秘だ


人間には左脳と右脳があるが、ほとんどの人は右脳を使って仕事しているように思える。
左脳を使ったとしても、右脳が感じて左脳に問いかけて又は、以前の経験から左脳の中から答えを導いているとしか思えない。左脳は学生時代で止まってしまっているのではないか?

回りを見渡してみよう。
いったい、どれだけの人が左脳を働かしているか。
この素晴らしい左脳を使わなくてはいけない。
今、左脳を使うにはとてもエネルギーを使うだろう。

私は、左脳を使う事、左脳を働かせる事にした。
私の目的を叶えるためには左脳を働かせる必要がある。

私の脳は、とてつもない事を成し遂げる気がする。
左脳だけでは自分が何処かへ行ってしまい、不安になる。
そこで、右脳の感情で左脳を制御し、目的の計画を構築し実行するだろう。
私は、この自分の左脳の偉大さにこころを震わしている。
そして、右脳の行動力と強さに感謝している。

上手く行きそうだ。
あゝ、神様が授けてくれた左脳と右脳を限りなく働かせて生きなければ。
この私の脳は、子供のように疲れをしらない。
また、私の脳は、子供のように想像力がたくましく限りない力を持っている。

この私のしらない私の脳を働かせるぞ。
私の脳は、神秘だ。神様だ。
この私の脳の神様にすてべの望みを託してみよう。

上手く行きそうだ。

2014年9月6日土曜日

これから映画みるのに、こんな想いが

これから、崖っぷちの映画を見るけど、こんな想いが湧いてきてしまった。
普通は、見たあとに感想を書くだろうけど私はこれから見る映画のパンフレットのイメージから私が思っていることを書いてみてしまった。

岩山の崖を登るクライマーの映画だ。
何に惹かれたか、それは『崖っぷち』である。
そして、私の言うところの崖っぷちは恐怖でしかない。また、高い所は嫌いなんです。
今の私には、この言葉『崖っぷち』が合ってるし、それが今どうしても必要なんだとわかってきた。

『崖っぷち』、絶対絶命の時である。
この時が、私が持てるすべての力を出し切れる時です。
そして、いま私が持てる以上の力を出せる可能性がある時なんです。

今、このチャンスしかない。
私はある目的のために今持っている以上の力が必要なんです。
私の壁(目的)はあまりにも大きくて、普段の自分の力では克服することは、成し得ないと思っているのです。
だから、もしかしたら、私自身が無意識の内に自らを『崖っぷち』に追い込んだのかもしせん。
それでいいんです。それしかないんでしょう。

それなんです。
この時なんです。
今、こころが震えているんです。本当のところとても怖いんです。すべてを失うかもしれないんです。
私には、やらなければならない事があるんです。その、やらなければならない事はとても力を必要とするんです。

私は、自らやらなければならない事のために、自らを『崖っぷち』に追い込みました。
あゝ、神様。
私の、やななければならない事は、決して自らのためではないんです。
私が、成功することにより、ある人が自分を尊敬できることなんです。
他人からしたら些細なことかもしれないんです。
でも、私にとってはとても大切なことなんです。
ここに生きた証にもなることなんです。

そのためには、私は自らを犠牲にしてもいいんです。
あゝ、神様! 
こんな私のために、力をお貸しください。
こんな私を、ある人が尊厳を得る事ができるまで、私に力を与えてください。

私は、この崖っぷちが怖くて怖くて震えています。
この[ふるえ」は、この「震え」とこの「奮え」の2つが私の心にあるんです。

もしかしたら、この崖っぷちから落ちるかもしれないし、
いつかは落ちるのではないかと思っています。
望みが叶うなら落ちてもいいんです。

でも、神様、

もう少しでも生かしてください。私の望みが叶うまで!


2014年8月28日木曜日

落ち込んだ後に見ると心に響く松岡修造メッセージ

落ち込んでいるあなたへ! 松岡修造のメッセージが素晴らしい。



何も、考えないで

何も、思い浮かべないで見てみよう。



素直に、この言葉を受け入れてみよう。



いまの自分には、すーと心に浸透していく。



『今、崖っぷちだと思っている貴方、それが最高のチャンスなんだぜ、

自分のすべての力を出しきれるんだから』



2014年8月23日土曜日

こころ気高いあの人への贈り物

私は、こころ気高いあの人へ自分の心の内を証したい。

こころ気高いあの人への証として、あの人の気高さが似合う物を贈ろう。

こころ気高いあの人へ贈り物は、匠の技が染み込んだ物しかない。
こころ気高いあの人へ贈り物は、自然の恵みを育んだ物しかない
こころ気高いあの人へ贈り物は、古き良き伝統を受け継いだものしかない。
こころ気高いあの人へ贈り物は、雨にも風にも負けず、四季折々を楽しめるものしかない

[柿渋染、京都帆布バッグ]

私は、想像してる。
 こころ気高いあの人は、この贈り物を、自然に身につけていることを
 そして、この贈り物はいつまでも日常の一部になることを

そして、私は今に思う。
 この贈り物が、私の想いを超えてしまうかもしれないことを

2014年8月19日火曜日

この言葉に何が言えよう

若い時に、少しの間だけ年下の女性の友達がいた。
今思えば、この人は純粋で楽しことなら何でもしたいし自由奔放な感じでした。
また、その日一日をどう過ごそうか考えている感じでした。
だから、仕事は上手くいかずいつも怒られていると言っていました。
どちらかと言うと世間からは、よく思われる人ではなかったでしょう。

ある時、こんなことを言ったのを今でも覚えている。

あと、どのくらい生きれるかな。』『今度、入院したら~かもって』
この言葉は、この子の母親がいつも言っていたことで母親の兄妹は長生きしていないのです。

そして、『ここが少しおかしい(体の一部)』。
見た感じは少し病弱な感じの人でしたから、少し心配していましました。
たぶん、知っているのでしょう。普通の人より生きれないことを。

その後、別れる事になりました。
原因は、私とこの女性とでは全てがまるっきり反対だったのです。
性格も考えたかたも何もかも。

いまでも、この時のことを忘れていない。
「これが一期一会だとしたら、こんなのあるか。ただの苦痛だけじゃないか」
「神様、どうしてなんだ。俺の時間を彼女に与えてもいいじゃないか」
神様へ訴えたことを

あと、どのくらい生きれるかな』と言ったこの人に
何が言えよう。
この女性は、毎日を精一杯生きているではないか!
人生を生ききろう、としているではないか!

自分の人生を試している、ようにみえるではないか!


どうして今こんなことを思い出したのだろうか?
私の神様が言っているのか、
『残された時間を試せ』