この人たちは、自分のすべき事を行っている。
しかし、他の人たちと大きな違いがある。
それは、するすべき事を誰からも与えらていないことである。
普通の会社であれば、すべき事はほぼ決まっており例えば、開発系の自由度の高い職種であってもその方向性は、決まっているのである。
しかし、ここの人たちは違う。
自分でするべき事を作り出さなければならないのだ。
そして、誰からも何も指示されないのだ。
何事も、自分で考えて自分の発案の成功を信じて自分で行動しなければならないのだ。
そして、その行動はとてつもなく厳しい。
つまり、その行動には際限がない。倒れるほどに睡眠時間を削り、知力と頭脳を酷使している人もいるだろう。ここの人たちは自分の限界を超えることができるのではないかと思っている。
しかし、ここで自分にはこのような事が出来るだろうかと言う疑問が湧いてくる。
それよりも、自分には知力と頭脳を働かせる事が出来るだろうかと言う疑問が湧いてくる。
できるだろうか?
この疑問に対して考えてみた。何がこの人達と違うのだろうか?私がこの人たちと同じように行動するにはどうしたら良いか考えてみた。
人間の全ての行動と感情は、脳の指令によって行われているとするとして違いは脳にあるとする。
そこで私は、私自身を解析して私の脳がどう行動されるにはどうすれば良いかを探ってみた。
まずは、私自身を見てみよう。
身長:171.5cm 体重:67kg 視力:両目0.2(メガネ矯正1.2) 身体健康状態:極めて良好
心身健康状態: ? 出来る作業:肉体労働・指示された頭脳労働(開発系の仕事)
性格:温厚・飽きやすく熱しやすい その他・思い出等:駅伝のために一人で練習することができたこと。今していること:ジムでのトレーニング ブログを書かなければならないといつも思っている。
この中から、この人たちと同じようなことは何かを抜き出してみた。
一つだけそれらしき事があった。思い出だけども駅伝のために一人でも練習することができたことだ。これはどちらかと言うと肉体の苦痛と精神の対決だったかもしれない。
この時の日々を思い出してみようと思う。可能なかぎり詳しく。
私は、走るのが好きだったと言うより肉体を使うことに快楽を感じていたのかもしれない。
苦しかった。しかし、自分の限界をぶち破ろうとしていた。
しかし、とても苦しかった。一人の競技の場合は全力を尽くして倒れるまで力を尽くすこともできるがこのスポーツは、タスキを継なぐ責任があり決して倒れることはできないのである。
でも、倒れる寸前まで全力を尽くしタスキを渡すことができた。
駅伝で走っていたときは、沿道の応援や声援を受けて、私は英雄の気分であった。
ここで、不思議な事がある。
それは、あまりにも苦しい少し力を抑えようとする事もできた筈であるが、それができないのである。それは、つね日ごろの練習により自分の体に苦痛に追い込むようにできていたのである。
もしかしたら、これだ。
新しい事に挑戦する自分へ自身の行動に苦痛に追い込むようすればいいのだろう。それは、同じ行動を何度も何度も繰り返して自分自身を作り変えるようにすること。
それは、脳を使うことである。そして、成功したときの又は今日の私自身がいづれ訪れる自分にたいして英雄と感じること。
今まで私は楽をしていたのだ。今までの自分で出来ることだけをしていたのだ。
私は、脳を使うと言う意識がなかったのだ。いや使う必要がなかったのだ。
ここから始めるしかない。
とても、とても厳し世界だ。
この厳し世界に挑んでいる自分を誇らしくて感じてそこに快楽を感じるようにしよう。
絶対に人と比べることはやめよう。人それぞれ違うのだから。
この戦場とも思える世界で自分だけの厳しい世界を一人でも生きていきたい。
いづれ訪れる私自身が英雄であったと証明するために!