2014年4月30日水曜日

想い出のクラシック音楽 諏訪内晶子のバイオリン

今日、久しぶりにクラシックのCDをかけた。
このCDのには、深い想い出がある。
初めて買ったクラシック音楽のCDで、もう20年近く経つだろうか。

この当時私は、気分が塞ぎ込がちで少々ノイローゼ気味でした。
そして、たまたま買ったCDを聞いたら、その時の感想は凄い。そして、他の人のCDも聞いていみました。しかし私が最も体に感じたのはこの人、諏訪内晶子さんのバイオリンでした。
この諏訪内晶子さんのバイオリンは、私の心にわだかまっていた何かを吹き飛ばそうとしている。

しばらくして、雑誌に諏訪内晶子さんのコンサートがある事を知りました。
東京のサントリーホールでした。「クラシックのコンサートなんて敷いが高くて~」でも、どうしても行きたくなりました。
コンサート日までは一ヶ月以上ありましたが、電話してみたら席が5つか6つ空いていました。
コンサート代は私にとっては安い金額ではありませんでしたし、地方都市に住んでいたので新幹線代、宿泊費と小遣いの範囲を超えていました。
でも、私の心のわだかまりを吹き飛ばそうとしている人のバイオリンを直接聞いてみたい。

バイオリンの弦の毛が切れて行くのが見える位置の席でした。
思っていたより激しい動き、生の演奏とはこんなにも響くのか!
会場に着いて知ったのですが、諏訪内晶子さんは10年ぶりの日本でのコンサートだったのです。
凱旋帰国の最初のコンサートだったのです。だから諏訪内晶子さんも気合が入っていたのでしょう。
諏訪内晶子

諏訪内晶子さんのバイオリンは、優しさとか癒しよりも
日本刀の刃のような研ぎ澄まされた輝きと鋼鉄の強さとかが似合う気がします。
弱り果てていた私の心に、復活の力を与えてくれたようでした。

2014年4月27日日曜日

毎日が悪いか最悪かのどちらかであると思ってみた。

私の毎日は悪いか最悪かのどちらかである。
そう思ってみた。
そうしたら、不平不満が沸かないことに気づいた。
現状を精一杯でなければ生きれない。

今日、これとこれをしようとしたけど、上手くいかない。
面倒で煩雑でまとまりがない、やりづらい、これでいいのだ。
誰もが、やりにくいからしないのだ。最悪か、それでいいのだ。
明日も、悪いか最悪だろう。これにぶち当たるしかない毎日である。

面倒でやりにくい事を今日は少しできた。

これでいのだ。

2014年4月24日木曜日

私たちの人生はすべて修行である。

昨日4月22日は、会社をおもいっきり休んで塩沼亮潤(しおぬまりょうじゅん)と登山家、冒険家の栗城史多の対談を聞きにいった。

 この二人は、共に変態だって自ら言っていたくらい面白かった。
 なんで、こんな苦しい事すんの?ってから話が始まったけど。
結論は結果よりも過程にあることだけがなんとなく分かった。

 話のメインはこの方で、大嶺千日回峰行をした人でお坊さんです。
 千日回峰とは、この千日間山の中を一日48KM歩くこと。
そして、いったん行に入ったら、何があっても骨が折れても止めることは出来無い掟なのだ。
 もう後戻り出来無いという事です。


 もし、この行を途中でやめるときは、

「神様仏様申し訳ございませんでした。
 千日間歩き通しますと申しましたが~~~~。」

で短刀で自分自身の腹をかき切って自害するか首をつるかで命を断つ掟。

 毎日が悪い最悪かなのだとのことでした。


 人に説教するには、ここまでしないといけないのかと思いました。
一番最後に行うは、断食と不眠と横なならない行である。

そして、このの前には、生前葬式を行うのです。
普通に考えたら、ドクターストップであるが、それを越えて行うのです。

ここで、もしお釈迦様が、『お前を必要とするなら生かして置くだろう。』と言う。

とにかく説得力がある話でした。 今の自分には凄く大きい価値がありました。。   この事は買った本のも書いてあるけど、まだ3分の1しか読んでない。
全部よんだらまたブログに書こうと思っている

2014年4月22日火曜日

夢の中、母との記憶

少しまえに、こんな夢を見た。
を背負って、桜並木を歩いているだった。
心の中で、ちっぽけな私が「夢を忘れたくない」と叫んでいた。
だから私は、夢の記憶を書き残すことにした。

書き残す文章は、綺麗な文章でなければならない。
でも私には、想いは有っても上手くは書けない。
それで私の、つたない文を素敵な人に校正と編集して頂いた。
桜並木


『気づいたら、母と私はそこにいた』

それは夢の中の話。
私は前に向かってゆっくりと歩んでいた。
飽きれてしまう程の単調な夢。
でもなぜか、喉のあたりに引っ掛かるものを感じた。

「いったいなんだろう。」
ふと視線を向けると、そこには母の手があった。
見間違えるはずなんてない。
懐かしい、あの優しい母の手だった。

そういえば背中に少しの重みを感じる。
どうやらこれは母の重みらしい。
母は今、私に背負われているのだ。
視界の端に、母の少しくたびれた農作業用の服が映った。

それにしても、いつの間にこんなに軽くなってしまったのか。
私は急に自分が不甲斐なくなった。
今まで気づかなかったけど、私はこれまで母にたくさん心配をかけてきたのだと思う。
いや、もしかすると私はわざとそのことに気づかないようにしてきたのかもしれない。


私は母の服を綺麗な和服に着替えさせた。
これでよし。
私はまた、母を背負って歩き始めた。
道の脇には立派な桜が咲き誇っている。
風が吹くたびに舞う桜が、時折私と母のもとにやってきた。

この道は初めて通る道だとずっと思っていたけど、
どうやら違うらしい。
この道は、自分が幼い時に母の背に背負われて歩いた道だ…!

そう気づいた瞬間、胸がきゅーっと締め付けられるのを感じた。
少しだけ、息を吸うのが苦しい。
私の背中で、母が何かを話していた。
たぶん、とりとめのないの世間話だったと思う。
でも詳しい内容はどんなに記憶を遡っても思い出せない。

ただ私は、母と話を合わせることに少しばかりのもどかしさを感じていた。
母にとって私は子どもでも、今の私はもう子どもではないからかもしれない。
もう子どもの時の私には戻れないのだ。
母との距離は大分離れてしまった。

なんともいえない寂しさと、
小さい頃歩いた道をまた母と一緒に歩けている嬉しさ。
桃色の景色の中、母を背負って歩く私の心の中で
いろいろな感情が綺麗な模様を描きながら静かに渦巻いていた。

続く~~。
母の日ギフト特集