自分のブログのプロフィールを書こうとしていた。そのプロフィールは、自分の信念についてであり、人から見たら多少大げさと思われるものである。しかし、この校長先生のビデオをみたら自分が恥ずかしくて情けない。
この先生は、どうしようもなく悩んでいたのでしょう。原発により他県へ避難する人と残る人では、断絶的なものが生じる事を悩んでいたのでしょうか!
そのことはいつまでも残ってしまうことを、しかし、なんとかして皆の気持ちを繋止めようとしているのでしょうか!破壊される故郷を自分を楯にしてまでも守ろうとしているのでしょうか! 素晴らしい校長先生で教師です。
この校長先生からしたら、今の自分は恥ずかしいい。ブログへアップしないほうが良いと思うが、ブログのコンセプトは「自分の心に浮かんだ事や、心が動かされた時に、書く~」なので、ブログへアップする。
2014年5月29日木曜日
2014年5月9日金曜日
私の心境・・・センチメンタルなのだろうか
今日(5月6日)は、渋谷で映画を見た。
この映画のタイトルは、『永遠のゼロ』である。この『永遠のゼロ』を映画館で見れるのは最後かのしれない日である。
私は、このタイトルの本を昨年末に知人のオススメで購入した。
しかし、少し読んでそのままであった。
そして、その本の作家の違う本を購入したがその本は最後まで読んだ。
なぜか私は、オススメの本『永遠のゼロ』を最後まで読まなかったのか?いや読むことができなかったのか?
そして、みたい映画を最後の日まで引き伸ばしたのか、他に人から見たら理解できないかもしれない。
理由はこうだ、例えば我が子がオリンピックへ柔道で出場して相手にリードされて挽回するためには、一本勝ちにか残されていないとしたら、見ていいられるだろうか!
私は、可哀想で見ていられない。この時は祈ることだろう。
この映画の歴史背景は誰よりの知っているつもりである。なんせ、小学校の体育は今思えば日本陸軍か海軍の体操そっくりだったし、担任の先生は今は亡き小野田少尉みたいで、教官と呼ばれていた人だった。さすが教官とだけあり凄く厳しい人でしたが、完璧に生徒全員の人気があって面白かった。(今日、天気がいから花見いくぜ・・・この授業今じゃありえね~)
そんな心境でこの評判の良い『永遠のゼロ』は、最後まで引き伸ばしたのだろう。
それで、あまりにも切なくなるので、この本を読むことできないし、この映画をなかなか見る事もできなかった。
こんな心境を持っている私はなんてセンチメンタルなのだろうか!
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